司馬遼太郎『坂の上の雲1』

友人の薦めである。

もっと最近の作家を読もうと思っていたが、司馬遼太郎は食わず嫌いというか、「堅苦しそう」「男のロマンな感じ?」というぼんやりとした印象で読んだことがなかった。

 

1を読み終えてからだいぶ時間がたち、読書に使っていた端末も手元にないため、なんとなくの読後感を書いておこうと思う。

 

一番強く印象に残っているのは、国の変革期に何事かを為さんとする青年の力強さである。

国の変革期と、人が吸収し成長する飛躍の時期が重なった幸運。

それでいて、秋山弟(真之)らの無賃旅行は普遍的な若者のエネルギッシュな馬鹿々々しさもあって普遍的であり、ほほえましく読んだ。

 

私が生まれたころには、とうに日本社会の仕組みはもちろん出来上がっていて、それどころかこれ以上の成長は見込めないような、閉塞感があったように思う。

子供のころに、「ふけいきってなーに?」と親に聞いた記憶がある。

ニュースから繰り返し聞こえてきた単語がそれだったと思うと悲しい。

そんな時代と、彼らの生きた、全てを作り替えようとする時代はあまりにも違う。

 

「男なら何かを為す」「何かで一番になりたい」という秋山兄弟の意思は、本当に気持ちがいいくらいにかっこいい。

何者かになりたいという気持ちはだれもが一度は持つだろうが、自分の力量や進路の現実性からあきらめる人が圧倒的に多い。

そもそも、私は自分が医者や弁護士や宇宙飛行士になりたいと思ったことすらない。東大を目指そうと思ったことがない。

世間で一目おかれるような特別な人間になれると思ったことがないのである。

これは自分の力量がどうとかではなくて、そうした職業や学歴は「何か特別な人たち」が得るものだと幼心に抱いていたのである。

さらに、「女の子だからそんなすごいものにならなくてもいいや」という気持ちさえ、少しあったように思える。

 

だから、純粋に「男なら何かを為す」「何かで一番になりたい」と思って努力する姿勢がまぶしい。

また、そうした人たちによって今の日本社会が作られたのだと思うと胸が熱くなる。

もっと若いころに出会いたい本だと思った。 

 

平安時代や戦国時代に比べて、授業では無味乾燥になりがちな近現代史に血が通う感じもするので、勉強的な意味でも読んでおきたかった。

しかし高校生の私が楽しく読めたかというと、自信はない。